初宮詣(はつみやもうで)
ーお(みや)まいりー




「初宮もうで」

かわいい あかちゃん だっこされ

うまれてはじめて みやまいり

じょうぶに そだちますように

みんなそろって かみさまに

まごころこめて いのりましょう

          阿倍王子神社先代宮司 長谷川義高 作



 
初宮詣(初参り)は、子どもが生れてはじめて外出できるようになったころ、

まず氏神の坐す産土(うぶすな)の神社にお参りして、神さまの御守護をいただく行事です。

普通、男児は生後三十日、女児は生後三十一日にお参りするならわしですが、

地方によっては日数の違うところもあります。

その時の季候や、赤ちゃんの健康状態などによって日を定めてもよいでしょう。

親としても、神さまから授かった子どもを育てあげる心構えを、

改めて神さまにお誓い申し上げるたいせつな日でもあります。

当地方では自宅から神社までの魔除けとして

赤ちゃんの額に、男児であれば「大」の文字を、女児であれば「小」の文字を、

それぞれ紅で書く風習が伝えられています。





七五三参(しちごさんまい)
七五三祝(しちごさんいわ)いー


「七五三もうで」

そだちざかりの こどもたち

なおも すくすくのびるよう

おまいりします しちごさん

おかぐらあげた おみやげは

まもりぶくろや ちとせあめ

          阿倍王子神社先代宮司 長谷川義高 作



 七五三詣は子どもの成長にともない、

折り目切り目に神社にお参りして、いっそうの息災成長を祈る行事です。

 三歳の祝いを髪置(かみおき)、五歳の祝いを袴着(はかまぎ)

七歳の祝いを帯解(おびとき)などと称しますが、

これらの名称やその年齢は、地方により、時代によって、必ずしも一定しません。

ともあれ、七五三は江戸時代から広く行われた行事で、

11月15日を当日とし、その前後を通じて、にぎやかなお参りが行われます。





新年祭(しんねんさい)
正月祭(しょうがつさい)


「初もうで」

としのはじめの おしょうがつ

まずかみさまに はつもうで

ことしのしあわせ いのります

おいしいおぞうに いただいて

みなさんしんねん おめでとう

          阿倍王子神社先代宮司 長谷川義高 作



 
新年祭は正月三ヶ日の祭で、年の初めを言祝ぐ(ことほぐ)大切な祭であります。

一年の計は元旦に有りとも云いまして、年の初めにかける人々の期待は大きいものであります。

そこで人々は氏神様を初め各地の有名社寺等に初詣をして、その年の無事息災と幸運とをお祈り致します。

 当神社に於きましても、元旦の午前零時には多数の参拝者が神前に集合し、

除夜の太鼓と共に一勢に初参りを行い、おみくじを引いて新しい年の運勢を見、

神棚に祭る神札や縁起物を受けて帰られます。

正月一日には宮司が御本殿を初め全末社を遥拝して、歳旦祭を執り行います。

当神社では三ヶ日の間、本殿にて御祈祷御神楽を奏し、

境内は露店が出て冬休み中の子供達で一日中賑わいます。

神社では神札その他種々の授与品、神矢に絵馬と御守りを付け、

魔除けの矢として授与致して居ります。





節分祭(せつぶんさい)

厄除火焚神事(やくよけひたきしんじ)


 
節分は立春の前日に当り季節の分れ目であります。

古くは暦の上で正月と重複・連続した日でもあり、

運勢学上は節分を以て年齢を数える基準にして居ります。

 宮中の追儺(ついな)行事は中国唐代の悪鬼邪霊を祓う行事を輸入したもので、

後に室町時代になり中国明代の豆を以て鬼を追う行事が輸入されて、

一般に広く行われるようになりました。

悪鬼邪霊祓いは厄除行事と重なり、厄年の人の厄を祓う行事にもなりました。

 当神社ではこの日の日没、境内に於て節分厄除火焚神事を斎行し、氏子の皆様の厄を祓って、

家内安全、事業繁栄、息災延命、諸難消除を御祈祷して居ります。

 当日稲荷社前の祭場に注連縄を廻らし、中央火壇に井桁状に角材を組みます。

先づ基壇に松の丸太径五寸、長さ二尺余を4本井桁に組み、

その上に桧の角材(五分角・長さ一尺五寸余)を108本組み上げます。

その中央に二寸角長さ三尺の桧の角材に紙垂を50枚程付けた柱を立てます。

この火壇の前方に祭壇を設け、傍らの台の上に

祈祷木(護摩木)を山のように積み上げて準備します。

祭典は午後7時よりの氏子青年会による福豆撒きの終了の後に開始します。

宮司以下祭員は火壇の右側に著座し、修験道行者十数名は火壇の後方に著座、

火掻所役は火壇の左側に著座します。

 式次第は修祓、降神、献饌、祝詞奏上、

次に本殿に於いて予め採火された忌火を蔭燈(手提燈篭)に移して、

祭員がこれを本殿から火壇へ運びます。

宮司がこの火種を火壇の上から差し入れて点火します。

ここで魔除の弓行事を行います。

 所役が火壇を囲み、四方より一本づつ魔除の弓を放ち、

それぞれ天下泰平、五穀豊穣、家内安全、交通安全を祈念いたします。

そして宮司以下祭員は火壇後方に移動し、炎が上ると共に大祓詞を一斉に唱和します。

108本の護摩壇が煩悩を焼き尽くして崩れた頃、宮司が祈祷木の一部を採り、

護摩壇に向い九字を切ってドウマンの祓を施しながら、祈念を込めて護摩木を火中に投じ、

これを続けて火勢を保ちながら、大祓詞を唱和します。

 この後、祭員は元の位置に著座し、代わって修験道行者が祭文を奏上し、

祈祷木を火中に投じ、般若心経を読誦します。

般若心経は祈祷木を焚き尽すまで繰り返し続けられ、

下火になった頃、玉串奉奠を行い、撤饌、昇神を以て終了します。

 この火焚祈祷は、全く修験道方式で行われる場合が多いのですが、

当社に於いては神社祭式を主体にした神道祈祷によって行っています。







葛之葉稲荷祭(くずのはいなりさい)
春祭(はるまつ)りー



 葛之葉稲荷祭は阿倍王子神社境内の葛之葉稲荷神社のお祭りで、

毎年4月の初午の日に春祭りを兼ねて、

農作物の豊作と産業の発展、及び氏子の皆様の商売繁盛を祈願しております。

 祭礼前から境内には紅白に塗り分けた奉納提灯を約250灯並べ、

当日は早朝から幟旗(のぼりはた)を立て、賑やかな雰囲気でお祭りします。

お祭りは午後1時半から斎行し、奉賛会員の方には氏子奉賛会の主催で福引行事が行われ、

提灯を奉納された崇敬者には、葛之葉稲荷大神の守護札と紅白の小判餅が配られます。







七夕祭(たなばたさい)
晴明公星祭(せいめいこうほしまつ)りー



 七夕祭は乞功奠(きっこうてん)とも呼ばれ、

牽牛織女(けんぎゅうしゅくじょ)の2星に技芸の上達を祈る行事ですが、

現在では様々な願い事をお祈りする行事として全国的に盛んに行われています。

 当社では、天文博士の安倍晴明公を祭る安倍晴明神社の行事として、

毎年7月7日午後2時より祭典を斎行しております。

祭典中には敬神婦人会わかば会の有志による短歌を奉納して頂き、

宮司による短歌の奏上を御神前にて執り行います。

また当日には阿倍王子神社と安倍晴明神社両方の境内に、七夕笹に短冊を飾り付け、

氏子の皆様には様々な願いを込めた薬玉(くすだま)をご奉納頂きまして、

装いも美しくお祭りを執り行っております。







夏季氏子大祭(かきうじこたいさい)
夏祭(なつまつ)りー



「なつまつり」

わっしょい わっしょい なつまつり

おとなもこどもも いさましく

おみこしかついで まちをねる

よみせはあかるい ひをともす

きんぎょすくいも たのしいな

          阿倍王子神社先代宮司 長谷川義高 作




大阪の夏は祭り月であります。

六月三十日の愛染祭に始まり、

七月三十一日の住吉大社の夏祭まで市内各所で斎行され、

夏の風物詩になっております。

夏は疫病や害虫、風水害等々と不安の多い時節であり、

昔の人はこれを悪霊や疫病の崇りであると考え、

これを鎮め追い祓う為に夏祭が行われて来ました。

夏祭には神様が神輿に乗られて、

氏子区域内を廻られる神幸祭(しんこうさい)が一般的に行われます。

 当社は昭和六年に神幸祭に必要な諸祭具一切を新調して以来、

古式に則した渡御(とぎょ)行列を行って来ました。

以前は神職が馬に乗り、行列は徒歩で一日かけて、阿倍野区内を練り歩いたものですが、

自動車が多くなって交通事情の悪化と共に、歩いて廻ることは難しくなり、

遂に昭和三十八年トラックによる行列となり、現在に至って居ります。

 行列には多少の変遷もあり昔とは様相も異っていますが、

現在の行列を下記に記します。


○先導車(行列先導・氏子青年会)-<乗用車>

○指揮車(行列指揮・交通安全協会)―<乗用車>

○枕太鼓〔まくらだいこ〕(阿倍野地区役員)-<4t車>

○猿田彦〔さるたひこ〕(金塚地区役員)-<2t車>

○獅子〔しし〕(阪南地区役員)―<2t車>

○錦旗・大賢木〔きんき・おおさかき〕(祓所役・丸山地区役員・常盤地区役員)-<2t車>

○稚児〔ちご〕(稚児委員会役員)-<マイクロバス2台>

○御鳳輦〔ごほうれん〕(楽人・晴明丘地区役員)-<4t車>

○祭員(宮司・祭典委員長・供奉員・巫女)-<2t車>

○錦蓋・菅蓋〔きんがい・かんがい〕(文の里地区役員)-<2t車>

○神輿〔みこし〕(神職・阿倍野地区役員)-<4t車>

○壇尻囃子〔だんじりばやし〕(王子地区役員)-<4t車>


 昔は神職及び猿田彦所役は馬に乗り、神輿も担いで行列し、

田楽舞(でんがくまい)を奏でて踊りながら渡御しましたが、

渡御行列がトラックに代わっても、現在でも宵宮の日には各地区毎の催し物が、

氏子区域を歩いて練り廻り、お祭り気分を盛り上げています。

 阿倍王子神社氏子区域である渡御の道筋には、

各地区役員により注連縄が張り廻らされ、

渡御当日は朝からトラックの飾り付けが行われます。

また神社では殿内を清掃し、神饌を準備します。

祭典は正午より宮司以下祭員が神楽奉奏の中、厳粛に祭儀を執り行います。

渡御は午後一時御発輦(はつれん)し、

午後二時半頃御旅所祭(おたびしょさい)を斎行。

午後五時本社に還御し、還幸祭(かんこうさい)を斎行の後、

直会(なおらい)が行われます。

 境内と周辺には露店が軒を連ね、日暮れと共に多くの参拝者で埋まり、

境内周辺は人波が続いて賑々しい限りであります。






秋季例大祭(しゅうきれいたいさい)
秋祭(あきまつ)りー



「あきまつり」

みのりのあきが やってきた

おこめもさかなも よくとれた

おかげをよろこぶ あきまつり

ちんじゅのもりの にぎわいに

たのしくひびく ふえたいこ

          阿倍王子神社先代宮司 長谷川義高 作



 秋祭りは農作物の収穫や産業の発展、及び国家の安泰、

国民の安寧を神様に感謝する重要なお祭りです。

 当社では10月14日を宵宮、10月15日を例大祭として行なっております。

 祭典は各地区の氏子総代の参列により15日の午後2時より厳粛に執り行います。

 また行事としましては

例大祭に近い土・日に境内にて「あべの王子みのり市」を催行。

秋の実りに感謝し秋の実り奉納報告祭を執り行います。

また祭礼日の午後3時より

阿倍王子神社参集殿2階において、

秋祭奉納舞踊大会を開催しております。

阿倍野区内の舞踊団体により日本舞踊が奉納され、

大神様に対する氏子の感謝の誠をご奉仕申し上げております。








月次祭(つきなみさい)
ー献湯神事(けんとうしんじ)



毎月1日・15日(1月のみ2日・15日)


「浪速式神楽」(なにわしきかぐら)

湯立(ゆだて)神事〔一名御湯神楽〕

・ 神楽歌なし

・ 神楽譜二段〔一段四方拝、二段早神楽〕

・ 採り物〔神楽鈴、御幣(ごへい)、笹束、柄杓(ひしゃく)、三宝(さんぼう)、

湯櫃(ゆひつ)、瓶子(へいし)、土器(かわらけ)〕

・ 道具 〔米、塩、神酒、湯釜、八脚案〕

・ 服装 〔たすきに白袴〕

・ 説明 〔湯立とは古代の盟神探湯(くかたち)に由来し、鎌倉時代から行われた神楽で、

現在では例祭日や月次祭等に行われる。

湯釜の数も一基三基五基と神社によって様々である。

中央の親釜を中心に、右左の順で全ての釜を廻る。

一段目の曲の間先づ御幣で祓い、次に鈴と御幣を持って舞う。

更に塩で祓い全ての釜に米と酒を注いで、柄杓で三回づつ湯櫃に汲み、

神職に取次いで神前に供える。

この後舞衣をぬぎ、たすきを掛け、

笹束でお湯をはね上げ、右左の釜を廻って親釜へ戻る。

最後に神前で式神楽を奏す。〕





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