大神様と信仰について
○当社は和歌山県の熊野三山(本宮、新宮、那智山)の王子社として、
厄除け、無病息災、病気平癒、家内安全、事業繁栄が主な信仰でございます。
○また阿倍野村の氏神として、
初宮詣、七五三参り、結婚式、
安産祈願、撰名名付け、交通安全でも信仰されております。
○阿倍王子神社には四柱の主祭神として、
伊邪那岐大神、伊邪那美大神、
速素盞鳴大神、品陀別大神を奉斎致しております。
○伊邪那岐大神、伊邪那美大神は、
日本国家の大先祖に坐しまし、国土修理固成の大業を成し遂げられ、
天照皇大神・月読大神・速素盞鳴大神の三貴子を生ませられて、
それぞれ国々を掌らせ給い、また祓の法をお開きになりました。
婚礼の祖神、方位災難除の神、天地万物主宰の神として、
御神徳を高く仰がれております。
○速素盞鳴大神は、
二神の御子神で、天照皇大神の御弟神でもあり、
日本国土の開発経営にあたり、八岐大蛇を退治して、
天叢雲剣[別称:草薙剣 三種の神器の一つ]を得られ、
また、杉・桧・槙・樟等八十木種を播かれ、
造船用の材を始め諸々の用材をもたらされました。
その他、和歌の道や厄除の法をお開きになりました。
縁結びの神、殖産工業造船の神、厄除の神、酒造の神として仰がれております。
○品陀別大神は、応神天皇または八幡大神と称え奉り、
仲哀天皇、神功皇后の皇子として生誕され、
御在位四十一年、この間外国より来貢来朝帰化等相次ぎ、
学術技芸等盛んに伝来し、国勢大いに盛んになりました。
学術技芸文化の神、また安産の神として御神徳を仰がれております。
○また当社では八咫烏大神をお祀りしております。
この御烏さんは当神社が熊野三社に所縁の熊野王子社であることから、
境内に御烏社をお造りし、八咫烏大神の銅像を彫刻しまして、
熊野大神の神使と云われる霊烏をお祀りしたものです。
当社御鎮座縁起絵巻には、
「昔、仁徳天皇御夢に熊野神使が現われ、
阿倍島に熊野大神を祭れとのお告げがあり、勅使を遣して調べられた処、
阿倍の中洲の老松に、首は雪よりも白く、眼は日よりも明い、三足の霊烏が居り、
天皇神験いと畏み給い、其の所に熊野王子の大宮を造り営み給うた」
とあります。
この御烏さんは神武天皇御親征の砌、
熊野から大和までの道筋を皇軍の先導したお導きの神様であり、
昔から熊野牛王宝印[烏文字で印された厄除けの札]、
又は同誓紙等により、全国的な信仰を集めました。
そこで当社では、この霊験著しい熊野霊烏八咫烏大神をお祀りし、
社頭にて願掛け絵馬や御烏御幣をお授けしており、
崇敬者の方々が、御自らご自身の願い事や弥栄を祈念されております。
○当神社の所管社、安倍晴明神社の御祭神、安倍晴明公は、
葛之葉子別れの伝説で知られる実在の人物で、
天慶七年(944)三月辰の日辰の刻を以って阿倍野に生れ、幼名を安倍童子と称し、
成長の後、京に上って賀茂保憲に従いて、天文陰陽推算の術を修められました。
平安時代の中期、村上、冷泉、円融、花山、一条の五帝に仕え、
天文司廊大博士大膳大夫播磨守に任じられ、職神を使役し天文に通じ、
百占奇中神の如しと称せられました。
安倍晴明大神は一条天皇の御時、
寛弘二年(1005)九月二十六日に神去りましたので、
毎年この日を以って安倍晴明神社の例祭日とし晴明大祭を斎行しております。
学問技芸上達、災難病難除災、方除け、子授け安産、
また占い事の神様としても信仰されております。
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